京つう

日記/くらし/一般  |北海道・東北地方

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2010年01月30日

ことばがでてこない

ご無沙汰でございます。

ちょうど「自分の」言葉が出てこない時期に差し掛かったようでして…。

どうも適切に説明できそうにないのですが。
自分のことばを発するのが、とても難しく感じる時期があります。周期的に。
(この時期に、自由作文などを求められると、単純に記憶の中の、色だの鉱物だのの名前を並べるだけになるのです。なんと言いましょうか、自分の気分、体調も一層掴みにくくなっているような。)

話し言葉でも書き言葉でも自発的な言葉を考えにくい状態。
それでも社会生活は進むのでして。
なるたけデスクワークに没頭し、話しかけられないようにして。それでも話さざるを得ないときは、今までに経験した会話と読んだ本を思い出して、適当な台詞を借用しまくって、誤魔化します。
口が滑ること滑ること!
しかも(引用元を告げない引用文多数のため)少しも自分では本当は感じていない気持ちまでさらっと言い表しますので、まだしも客観的な内側のわたしが、焦りまくって、フォローが大変。なのに勢いが止まらない。
こんなときだけ素早く行動せんでよろしいのに!!

本当は、危険!!誰も話しかけてはならぬ!って広報したい気分。
  


Posted by 芥子菜  at 23:24Comments(0)ちらちり

2010年01月19日

a trip into the sleeping world

あああああああ。

それだけ言って、逃げたくなる。
眠りへ。

+++

むかしむかし。中学生のころ、担任の方針で、1日の終わりに作文を書くのが日課だった。
内容も文字数も自由。
中身を、集める人に見られたくないなら、マル秘と書いて折って提出してくれればよい。
そう指示されていた。

読むのはめちゃくちゃ早い(読んでないと誤解されたり、読んでるふりをしてるだけと疑われるほどに。)反面、文を書くのが苦手で。
すらすらことばが出てくる日もあれば、1行書くのに5分もかかる日もあった。

今日は疲れてるので、これでおしまい。
っていう1行だけで出したこともあった。
書くことをおもいつけなくて、色の名前を書き連ねて提出したら、思いがけず綺麗ですねってコメントが返ってきたこともあった。

あのころと今と、性根はまるで違わない気がしてならない。
あれからいろいろあったというのに。
図体が大きくなっただけで、成長がない。

+++

あーあーあ。
マイクテスト。マイクテスト。ただいまマイクの音量調節中です。音量音質はいかがでしょうか?

かつてなんどとなく聞いた誰かの声が、よみがえる。

流れる雲の真ん中で。

さくら さくら いままいおちるせつなにちりゆく

うえをむーいてあるーこう なみだがこぼれないよーに

つまり、これが、今様稗田阿礼状態@音声ver,か。
ってことはわたしは、疲れてるのか。。
小学生に倣ってもう休みますわ。

あ。口が利けない。
唇が開かない、ははは。。。  


Posted by 芥子菜  at 23:59Comments(0)ちらちり

2010年01月18日

もうねむくってねむくって

睡魔がとばぐちに見える。。
泥のように眠い。

…どなたさまもよい夢を。
  
タグ :眠い


Posted by 芥子菜  at 22:09Comments(0)ささやかな

2010年01月17日

口数少ない人ばかり?

うちの部署では、時間が少ないときは誰も口を効かなくなるから、業務に集中しやすくていいです~。
と深く考えずに他部署の先輩に話すと、えっ!?と絶句されました。

何に驚かれたのだろうか?
もしそれが会話0ということならば、これはわたしにとって仕事中の最適環境の必要条件なんだけど…。
いつでも誰かが喋ってるような部署には、異動したくないなぁ。  


Posted by 芥子菜  at 23:55Comments(0)うつくしきもの

2010年01月16日

父の冗談

弟M氏は、父の冗談が好きじゃない、そうだ。

***

うちの父は、子どもたちが小中学生くらいの頃、本当か嘘か判別つかないような境い目の冗談を、真面目な顔でしょっちゅう言っていた。
もっとも、父はすぐに、顔が崩れて笑ってしまう癖がある。
だから、わたしには、それが冗談(偽)だと悟れていた。
でも年少のM氏は父のそれを真に受けて、たいそう不安な顔つきになり、おろおろし始める。
それを見て、父は「冗談だよ」と述べる。
これが、一連の会話は真面目に受け取らなくて良いよ/終わり、のお決まりの合図だった。
不安、終了。
安堵したM氏は、一転して怒り、ぼくにはわからない!「ジョウダン」はやめて!「お父さんのジョウダン」はきらいだ!!とよく叫んでいた。

***

M氏は、いまでも父の冗談は好きじゃないとは言うものの、それでも彼にはそういったジョークへの耐性がついてきたようだ。
何度も繰り返すうちに、父の言う自分にはわからないことばなどは、冗談や揶揄として捨て置く、つまり、自分には無関係な範囲のことだから取り合わなくていい、という訓練になったのか。
あれだけ、冗談と本気の区別のつかなかった(そしていつも真面目に怒っていた)M氏でも、20年かけて慣れるようになったのだろうな。
今では、たまにM氏が、人を宥めたり、誤魔化すために「冗談だよ」と告げている場に立ち会うことすらある。

おぉ、進歩してるじゃん!と思う瞬間だ。  


Posted by 芥子菜  at 23:58Comments(0)うちんち

2010年01月15日

ぼくに友だちはいない

弟Rがまたまたわたしの部屋に泊まりに来た。さて、と、眠りに就く直前。
「ぼくに友だちはいない」と小学生の彼は言った。

これは文脈的にストレートに捉えてよいのかが不明瞭だったのだが、ここは素直に解釈することにするとしたら。

***

そう、休日毎に遊びに誘いに来るクラスメイトが、友達とは限らない。
自分の力をコントロールできなかった幼稚園生のころと、頼まれると新品のベイを使い古したクラスメイトのそれと交換してあげる今。
対等な付き合い方ができていないのは、変わらない。

彼は、いつ、自分の特徴に自分で気づくだろう。
親は、いつ、告知するだろう…。

Rがお世話になってるセンターでは毎月、Rのような子をもつ保護者向けの講演が開かれている。
出席した親によると、今月のテーマは《本人への告知》だったそうだが…。

そんなことをつらつら考えながらふらりと眠りの領域に立ち入った。  


Posted by 芥子菜  at 23:55Comments(0)うちんち

2010年01月14日

ぐるぐるは、集中しすぎた証。

ちょっと仕事が長引いたな、でももうそろそろ終えられるというところで、立ち上がると。
目の前が回った。
膝に力が入らない。
身体の関節が上手くつながってないような感覚。かくかく骨同士を鳴らしながら歩くハロウィンのスケルトンみたい。
またか★

***

今日は、つい仕事に集中しすぎた。
全体の流れがわかってくると、楽しくて、やりすぎてしまう。
自分が今扱う数字が、どこから来て、何と合流し、どこへ向かうのか。
思わぬところで出くわす見覚えのある数字。はーい、久しぶり!と挨拶を交わす数字たち。
このハイタッチのような感覚は面白い。

***

この業務は、長距離走に似ている。
ゴールはしっかり定められていて、ルールはシンプル。
スタートラインを切った後は、一心に進むのみ。
途中で、ルートを逸れてはいないか、と不安を抱きながらもひた走る。
目指す先にゴールが見え、とうとうラインを超えたときの深い安堵と一瞬の清々しさまでも。
  


Posted by 芥子菜  at 23:54Comments(0)ちらちり

2010年01月13日

ぼくのこと、嫌いなんだ!

昨夜。「おねえちゃんは、ぼくのこと、きらいなんだ!!」と弟Rに言われてしまいました。

***

わたしが好意を抱いている人から、《芥子菜からは嫌われてると思っていた》などと言われるのは、別にこれが初めてではありません(ため息)。

敢えて積極的に考えるなら、面と向かって言ってくれる場合、まだ弁解の機会もあるというものです。
それに後からそう打ち明けてくれるくらいに、その人と親しくなったケースもあるのですから。

***

とりあえず今回もさらっと、「いや、好きだよ?」と主張しておきました。
Rの耳に入ったかどうかは、わかりませんが。
  


Posted by 芥子菜  at 23:52Comments(0)ちらちり

2010年01月12日

モーツァルトとクジラ

映画「モーツァルトとクジラ」(米)を見ました。
ASDの夫婦によるノンフィクション小説が元になっています。

***

冒頭、主人公が、運転中に鮮明な脳内マッピング映像に注意が向いて事故を起こすのに、苦笑。
わたしも、ひとつ間違えればそうなりかねないときがあるもの。

気になったもの★
・人参で美しく飾り付けられた墓。
・苛立ったときに数字について思い付いたことをずらずら並べ立てる主人公。
・色合いに見覚えがありすぎる。透明感のある青緑。朱色がかったようなオレンジ。
・正確なメロディの口笛。

あぁ、もう既視感過多。
なんだか他人事とは思えなくて、ハッピーエンドがめちゃくちゃ嬉しかった。
この続きを生きていくとは、この幸せな状態が続くわけではないと知ってるけど。
むしろトラブル頻発なんだろうけど。
それでも、嬉しかった。

原作になった小説は、こんなに可愛くなくて、壮絶な売り言葉に買い言葉な夫婦喧嘩をしていた記憶があって映画も覚悟して見始めたのです。
途中で、小説とはかなり違うのだと納得してからは、肩の力を抜いて楽しめました。
  


Posted by 芥子菜  at 23:54Comments(0)ちらちり

2010年01月12日

笑いのツボ

PCからふっと目を上げると、目の前に本が並んでいる。

のだめカンタービレ28巻
HARRY POTTER and the prisoner of Azkaban
THE WILLOWS IN WINTER
バァバよ大志をいだけ
香港領事 佐々淳行。
それからスケッチブックと色鉛筆と去年の手帳とお買い物手帳が並ぶ。

なんだろう、この同時に読む本のとりとめのなさは。
妙におかしい。
笑えてくる。  
タグ :笑いのツボ


Posted by 芥子菜  at 07:00Comments(0)ちらちり

2010年01月11日

疲れてるときの笑顔、元気な無表情。

…元気で、実際に気分も良いときのほうが、無表情なのだと誰か信じてくれないかな…。
笑顔だから、元気とは限らないのだとも。

***

わたしは、疲労の際では、にこやかに見えるそうですよ。
一見リラックスしていて、話しかければ直ぐに愛想のよい応答が返ってきそうな自然体に見えるみたいなんだって。
だからわたしの処理能力を明らかに超過した、通常以上の社交辞令に曝されてしまう羽目になる(涙)

その結果、わたし本来の、抑揚が少なくぶっきらぼうで、ストレートすぎる言い回しや直接的な表現をいつものように滑らかに穏健なフレーズへと言い換えできなくなってしまう。
だから、人によっては規格外に乱暴な応対と受け止められてしまうのね(納得)。
多分わたしの普段の応対やそのときの笑顔、とのギャップがさらに悪印象を強めているんだ。
疲れてるときに会話して、相手を怒らせてしまい、対人関係をぐちゃぐちゃにしてしまった後悔は、もう何回も覚えがある(はぁ…)。

だから、疲れてるときは招待を断ってでも人前に出ないほうが賢明なんだ、もう思い定めてる。
理由を話すと呆れられそう(&こじつけだと思われそう)だから、はっきり告げたことはないけど。

閑話休題。

最近のわたし、別に何にも怒ってないです。
ただ元気なだけなの。
睡眠が足りてるんだよ。
10年振りくらいに!

元気だから、言葉数が少ないんだよ。
舌の用い方の失敗をこれ以上重ねる必要もないのにって思うから。
まず、熟考せよ!いま話すべきかどうか。
口を開く前に、自らに話して聞かせよ!!
失礼がないかどうか。
って考えてから話すから。
そりゃ一々考えてたら無口になるし、テンポも遅くなりますって。
この質問、自前の篩の目が粗すぎると実感することには多々直面済みなのだけど。とりあえず今も現役で使用中。

***

使い勝手のよい高性能なフィルター、ご存じの方はお教えいただけませんでしょうか?

切実なのです。
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Posted by 芥子菜  at 06:03Comments(0)ちらちり

2010年01月10日

Yes,I am.

あなたは普通じゃない、と言われて。
そうだね(にっこり)と返すと妙な顔をされたものでした。
なんで?相手の言うことを肯定してあげたのに、どうして喜ばないんだろう?
と真面目に考えてました。
普通じゃない、はけなしことばではないはず、だと今でも思ってます。
人によってはそう使うこともあるのでしょうが。

でも、あなた、変だよ、と言った人に、わたし変だから、というとめちゃくちゃ怒られる、この不思議。
わたしはそういう人は、自分の発言を覚えていない忘れっぽい人なんだと思ってましたよ・・・。

***

今日、ネットサーフィンで、普通じゃないと言う人の台詞には《普通であってほしい、普通の人のように行動してほしい》という考えがあるようだというニュアンスの文章を見かけました。

そうなの!!!???
声に出して言ってしまいました。
あっ、そう。へぇ。ふーん。

それって本人は気づいてるのかしら?
自分のその無言の欲求に。

気づいてるなら、別の言い方をしましょうよ~。  


Posted by 芥子菜  at 13:12Comments(0)ちらちり

2010年01月07日

嗜眠ウィーク

週明けからずっと、身体が眠りを欲している。
さらにここ3日、弟Rが、何故かわたしの部屋で眠りに来ている。
小学生の彼に合わせて、さらに拍車がかかった早寝を励行中。

おかげで、今も、布団の中から携帯でちくちく打っています。

ほはぁぁ、眠い。

…みなさまも素敵な夢を。  


Posted by 芥子菜  at 21:38Comments(0)なんぞなもし

2010年01月04日

Rのスケジュール管理:リスト・タイムテーブル・マインドマップ

今回は、また後日に、と年末に述べた記事の続編です。
 
 前編は、こちらです。
 バーティカル手帳の極私的メリット:時間の視覚化と疲労の把握
 http://www.kyo2.jp/admin/entry.php?entry_id=163368

学生のころ出会った、友人Rを真似たスケジュール管理のうち、以下の3点についてです。
 1.リスト化
 2.タイムテーブル化
 3.マインドマップ
最初はRのやりかたをそっくり取り入れて、そして徐々に自分にあわせてアレンジしていきました。
なにかしらのお役に立てれば幸いです。

***

1.リスト化 について。
Rは、ほぼ毎日、《what to do》 と 《what to buy》の2種類のリストを作成していました。
(英語にするのは、Rがそうしていたから。彼女は英語に馴染みが深かったのです。)
日本語で言うと、するべきことと、買うべきもののリストですね。
彼女は、このリストを手帳と一緒に1日中持ち歩いて、完了したことは漸次リストから二重線で消し去っていました。
・・・いまも夕方になると、そうやって線で全て消されたリストを前に、今日のmissionは終了!という、Rの満足げなフレーズが、聞こえてきそうな気がします。

買い物リストは別として、Rのように1日にすべきことのリスト化は、明記していても、予定を抜かしたり見落としたりするので、わたしには不向きでした。

ただし、朝起きてから出かけるまでの間にすることのリスト化は、効果的です。
平日にも使えますが、とくに、いつもとは違う出発前のスケジュールのときに、これを組んでから眠ると、朝の準備時間がぐっと短縮できました。
たいしたことは書いていません。
□洗顔
□朝食
□着替えて
□荷物を玄関前へ
みたいな感じでしょうか。
あとは絶対忘れてはいけないものなどを、書き添えます。
(語頭の四角はチェックボックスです。わたしは二重線で消すより、何をやったかというのがはっきり見えるのがよかったので。)
いつもとは違う段取りがはっきりする安心感と、ささやかなトラブル防止になります。

***
2.タイムテーブル について。
中長期のスケジュールのタイムテーブルや優先順位を見やすくするための工夫もしていました。
付箋紙に予定を書いて、机の前に(スチール製の本棚が吊ってあったのですが、そこに)右から〆切が近い時間順に貼ってありました。

優先順位が入れ替わったら位置を違え、洗濯など家事のようなよく使うタスクが完了したら、その付箋紙を本棚の側面に隠しておいて再利用していました。

これは結構、根気と几帳面さがいる方法かと思います。
付箋紙を使うのは、学生の時はしていました。
今は、事務所の机上カレンダーに1~2枚くらい、あとは先輩が送信してくださる毎月のスケジュール表をアレンジしています。
講義レポート提出や奨学金の申請書類提出のように、準備期間が長くないのに、あとから割り込んでくる重要度の高いタスクが減ったから、という理由もあります。

***

3.マインドマップ について。

マインドマップとは、メモの方法の一つ、といえばよいのでしょうか。
これを、文で説明するのは難しくいので、自分で書いたマインドマップの写真を載せます。
マインドマップの内容は、今回の記事内容を簡単にまとめたものです。

これは、仕事中でも家でも、外出時によく使います。
先輩方や家族の各人から、バラバラに頼まれた複数の用事を、どこでするか、そのためにどこから廻るかというような込み入った、外出1回分のスケジュールの整理によく使っています。
その場合は、真ん中を《外へ》というテーマにして、銀行だの、お漬物やさんだの、周りに書き込んでいきます。
また、講演のメモや、筋道立てて話しをする準備、あるいは自分の悩みごとの整理にも使います。

***

彼女のように、毎日几帳面にはしていませんが、今となっては、どれもわたしの生活にすっかり溶け込んでいる方法です。

見本を見せてくれたRには、やっぱり感謝です。  


Posted by 芥子菜  at 23:52Comments(0)ちらちり

2010年01月03日

おうちモードと省略したい時候の挨拶

2010年が、始まりましたね。
もっとも出社すれば、そこでは2009年12月29日と30日分の仕事が待っているのですが。。

***

行きつけのブログでは、きちんと新年の挨拶や抱負など立派に書かれているところが多くて、凄いなぁという気分です。

当ブログでは、そういったことは望めないでしょう。
なぜといって、芥子菜は、時候の挨拶が苦手、だからです。

別人になりきれば、できますけどね。
なんというか、どうしても、収まりが悪い。
できれば、したくないもののひとつ、です。
なので、ここでだけは、省略させてください。
ごめんなさい。

こういうのは、内田樹先生の著書を読むと、ものすごく悪いこと(というより、損なこと、というべきでしょうか?)をしてるような気がしますけどね。

***

時候のあいさつの気味悪さは、ふだんしゃべらないひとが正面きって大声で近づいてくるから、でもあります。
(特に、母の実家の親族はみな声が大きいので、その声の大きさで、ばちっと頬をたたかれたような錯覚さえ覚えます。実際に頬を叩かれた経験はないはずなのですが)
中身に意味のないことばを交し合う不気味さと表情がつりあわない。

仕事が始まって、ぱちっとスイッチを切り替えたら、別人みたいに笑顔をつけて、(多分)大声で唱えられるんですけどね。
これをわたしのなかでは、別人になる、とか、仮面をかぶる、と言い慣わします。

大晦日に祖母宅を訪ねていましたが、身体がすっかりおうちモードに入ってしまっていました。
顔が強ばってしまい、即物的な会話を続けるのも難しかった。
気ぃつかいーの叔母が、なんか知らないけど、そんな芥子菜をもちあげてくれまして、もうどうにでもしてくれーぃな気分でした。
いつもは電車で行く道のりを、弟K氏の運転する車で送ってもらったため、モードを切り替えるタイミングを逃したのかもしれない。。

休みはとかく疲れます。  


Posted by 芥子菜  at 23:50Comments(0)なんぞなもし