「発 達 障 害 は 治 り ま す か ?」を読んで(二)

芥子菜

2013年03月14日 22:41

著者の診察を受けに、鹿児島に行ってきました〜これが前回(一)まで。

帰宅してからの変化はたくさんある。

自転車に乗ってるときの姿勢が良くなったり、
以前聞いたときは細かすぎて聞き込めなかった、より複雑な音楽を楽しめるようになったり、
鍵のありかを探さなくても手が覚えてることが多くなったり、
残業してても「(ふらふらしてるから)帰れ」と言われなくなったり。

けれど、いちばんは、「わたしは、いま、ここにいる」という感覚を強くもつようになったことだ。
これは凄い。
これじゃ、世の中のひとが、だれかに働きかけよう、話そう、という気にもなるわけだと納得しました。
自分の言葉も相手に作用するということを素直に信じられる。
言葉が相手に届くかどうか過度に心配せずともよい、のびやかさを感じました。

わたしごときがなに言ったって〜という卑屈さの根っこって、これだったのかもしれません。


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