2009年08月28日
うつの人の側にいるには
ひょんなことで意気投合した方に「友人がうつで」とお話したところ、意外なほどの真剣さで《うつ病の人の側にいるときに、一番気をつけることは何?》と訊ねられた。
そこで、こちらも真面目に、しばし押し黙り、じっくり考え、ついにしかしどこからかところてんのようにぽろっと押し出されてきた答えは、「相手の感情に巻き込まれないこと、冷静でいること」だった。
***
うつ病の人は、ちょうど溺れかけている人に似ていると思う。
特に、必死にもがいている人を助けようとして、性急に水に入り、巻き込まれて自分も一緒に溺れては、助けになれないところが。
むしろ、必要なのは、泳げない私は水には入らず浮き輪を投げた方がよいというような冷静沈着な判断だったのだろう。とても難しいことだけど。
彼女の、普段とはかけ離れた反応も見た。でも最も病が重篤だったときでさえ、その人らしさ、その本質的なところは失われなかった。
その彼女らしさの発揮の仕方が、いつもと異なっても、そこから窺える発端と過程に目を向けていたこと、そして彼女にとって長期的な益を志向しようとしていたことを思い起こさせてくれる問いだった。
妙に、安心した。
そこで、こちらも真面目に、しばし押し黙り、じっくり考え、ついにしかしどこからかところてんのようにぽろっと押し出されてきた答えは、「相手の感情に巻き込まれないこと、冷静でいること」だった。
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うつ病の人は、ちょうど溺れかけている人に似ていると思う。
特に、必死にもがいている人を助けようとして、性急に水に入り、巻き込まれて自分も一緒に溺れては、助けになれないところが。
むしろ、必要なのは、泳げない私は水には入らず浮き輪を投げた方がよいというような冷静沈着な判断だったのだろう。とても難しいことだけど。
彼女の、普段とはかけ離れた反応も見た。でも最も病が重篤だったときでさえ、その人らしさ、その本質的なところは失われなかった。
その彼女らしさの発揮の仕方が、いつもと異なっても、そこから窺える発端と過程に目を向けていたこと、そして彼女にとって長期的な益を志向しようとしていたことを思い起こさせてくれる問いだった。
妙に、安心した。
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