2009年05月03日
家族内のストーリーの重要性と居心地のよさ
家族へ積極的に自己開示する目的は、ただ《一応知っておいてほしいかな》程度でした。
でも今まであからさまにしていなかった感覚を言葉で表現してから、「お姉ちゃん(私)は、○○なときに、~する」という共通認識が家族内ではっきりしてきたように思います。
つまり、私の一時の気まぐれではなく、一本筋の通ったストーリーとして見てもらえるようになってきたとでもいうのでしょうか。
動作が超スローモーションやと今日はめっちゃ疲れてるんやな?と確認されたり、夕ご飯を食べたあとそのまま寝落ちしても文句を言われなくなったり。
おかげで、家族と一緒の生活でもかなり気楽になりました。
そうして認識してもらえると、自分の感覚を間違ってるんじゃないかとかもうちょっとがんばれたんじゃないかとか、一々疑わなくて済みますしね。
今は彼らとより心地よく過ごせるようになれて、すごくほっとしています。
でも今まであからさまにしていなかった感覚を言葉で表現してから、「お姉ちゃん(私)は、○○なときに、~する」という共通認識が家族内ではっきりしてきたように思います。
つまり、私の一時の気まぐれではなく、一本筋の通ったストーリーとして見てもらえるようになってきたとでもいうのでしょうか。
動作が超スローモーションやと今日はめっちゃ疲れてるんやな?と確認されたり、夕ご飯を食べたあとそのまま寝落ちしても文句を言われなくなったり。
おかげで、家族と一緒の生活でもかなり気楽になりました。
そうして認識してもらえると、自分の感覚を間違ってるんじゃないかとかもうちょっとがんばれたんじゃないかとか、一々疑わなくて済みますしね。
今は彼らとより心地よく過ごせるようになれて、すごくほっとしています。
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