京つう

日記/くらし/一般  |北海道・東北地方

新規登録ログインヘルプ



2009年05月02日

家族への自己開示(改稿)

うちが変わってると云われる要因は何か?と調べはじめたのは、3年位前のことでした。
だんだん自分の身体の癖や感覚を抽出し、家族と生活するうえでかかわりが深いだろうと思ったことについては、簡単に彼らに伝えようとする方針で去年から動いています。

家族への自己開示が必須だと悟ったきっかけは、楽しかった学生生活が終わって、実家に戻ったことでした。
それまで家族に伝わっていると当たり前に思い込んでいた言葉や、私のとらえた記憶と家族各員のそれとの齟齬の大きさに、すぐ気づかされました。
そのときまでうっかり(!!)見過ごしていましたが、高校生の時、棚上げしておいた問題に再びぶち当たったのでした。
今の時点で《私》について私から言葉で伝えないと、これから先、誤解がどんどん積み重なってしまい、家族の中でさらに過ごしにくくなりかねない、そう感じました。
せめて、真正面から会話できる道は残しておきたい。
そう思っての行動でした。

この記事は、アップした後も、何度か大きく手直ししています。
伝えるようにまとめられない=自分の中で整理できていないということなのでしょう。
まだまだリアルタイムで進行中の出来事なのだと実感します。。。

***

20100101本文加筆及び追記付加:一連の告白の始まりは、《人の顔が覚えられない》でした。
常々、わたしは人の顔はおぼえられないし、年齢も見た目から計れないのだと言っていたのですが、あまりにもたびたび、会話の中で《どのくらいの年齢の人?》とか《あのときに会った人だけど覚えてないの?》という問いが繰り返され、そのたびにああこれだから・・・と、がっかりされたり、無能扱いされるのが厭で仕方なかったのです。

なので、話のついでに、そのときもやっぱり、数年前になにかで一緒だったひとの顔も覚えていないのかと問われたので、つい具体的に「全然、見た記憶がない。だって、わたしは、お母さんの顔も覚えてないんだよ?」と言ってしまいました。

彼女は、一瞬間を空けて、「ふーん!!そう!!」と大きな怒ったような声を出しました。
そして父の隣に寄って、「ねぇ、芥子菜はお母さんの顔を覚えてないんだってっ!!」と言っていました。少なからずショックを受けていたようでした。
なので、それには触れずに、続けて「だから、自分の顔も覚えてないんですけど」と言い添えておきました。
別に母を軽んじているわけではないと主張するために、生物にとっておそらく一番大切であるはずの「自分」も同じ範疇なのだということを述べて、安堵させたかったのでしょう。

ちなみにたしかこの数週間前に、職場の先輩達にも、人の顔を覚えてないというのがバレて、詰問されたのですが。
自分の顔も覚えてないと言うと、一瞬黙られたので、これは案外効果的なのかも・・・という計算が、実はこっそり働いていました。

同じカテゴリー(うちんち)の記事画像
頭も冴える
予告編とタスクの切替と簡潔な言い回し
困ったときの父親頼み
本日、私用のため。
1に観察。2に推察。
たくさんの約束
同じカテゴリー(うちんち)の記事
 最近のアクティビティ (2013-12-30 02:05)
 今年の目標 (2012-01-01 08:56)
 頭も冴える (2011-12-10 08:52)
 掃除に取りかかりました. (2011-11-29 22:49)
 不器用な身体 (2010-07-04 20:45)
 歩く・走る (2010-07-04 15:15)

Posted by 芥子菜  at 08:14 │Comments(0)うちんち

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。